第二章 「モッチー」

●Vol:1

 さて、オレ、青山健太郎のタイについての話をしてきたが、振り返ってみればほとんど女のことしか語っていない。これから語ることもそうなのかと聞かれると、そうだ。だいたい女のことになるだろう。考えてみればオレの人生は女を中心に回ってきた。
  オレの生まれは御茶ノ水。と、いってもオレは東京都民ではない。浦安に住んでたんだけど、病院がなぜか御茶ノ水だったというだけだ。オレは医者の卵たちが見守る中この世に生を受けた。らしい。
  幼いときの記憶は結構多いほうだ。一歳ぐらいからの記憶がある。平均から言えばかなり早い部類だろう。と、いってもこの年になっていきなり昔のことを思い出したわけではない。小一ぐらいのときに、オレが一歳当時に写された写真を見て、そのころのことを思い出したのだ。そして、中学生のときその写真をもう一度見たとき、小一のときに思い出したということを思い出して、それがそのまま記憶になっているということだ。写真の内容は、オレがケチャップを持って立っているというものだった。お婆ちゃんの家で撮られたもので、おばさんに、ケチャップ返しなさいと言われた記憶がある。他には、ストーブに近づこうとして、注意された記憶など、そういった類のものだ。
  子供の記憶というものは面白いもので、結構いろいろなことを覚えているらしい。三歳ぐらいの子供に、「お母さんのお腹の中どうだった?」と訊くと、「ピンクだった」とか、「出口が痛かった」とか、「苦しかった」とかわけのわからないことを言うらしい。それは子供の記憶なのか、想像なのかはなんともいえないが、それがそうなら、人間の脳はなんとも不思議なものである。
  両親の話をすると、母親は普通の専業主婦。父親は普通のサラリーマンをやっていたのだが、途中で事業を起こし、一時は羽振りが良かったらしい。その影響か、オレは子供のときは結構いい暮らしをしていた。
  暮らし向きはそう悪くはなかったのだが、親父が酒乱という問題があった。手も出すほうで、星一徹ではないがちゃぶ台をひっくり返しては、母親に罵声を浴びせながら、茶碗を投げたりしていたのを記憶している。子供ながらに結構ビビッたものだ。そういうものを見てきてオレは育った。
  親父は酒乱の男にありがちな、快楽主義の刹那主義的ところがあり、金が入るとすぐに派手に使ってしまうというタイプだ。はじめは眼鏡屋の営業をして、浦安に住んでいたのだが、なにかの事業を起こして成功し、埼玉に一億円の家を構える。オレが中二のときだ。だが、バブル崩壊とともに景気が悪くなり、オレが高二ぐらいのときに家を手放し、他の事業を始める。赤坂でラーメン屋をやるが、それもうまくいかず、事務員で働いていた山形から来たむすめと浮気をし、両親は離婚した。それ以来ヤツの顔は見ていない。オレが十九のときだ。
  酒乱、家庭内暴力、浮気、離婚と結構不幸な要素の大行列のようだが、オレはそれなりに楽しい少年時代を過ごしてきた。鬱になって落ち込んだこともあったが、そうそう捨てたものではない。殊に異性関係においては結構いい方だろう。

 オレが生まれてはじめて近しい存在になった女の子は山口美代子ちゃん。幼稚園で同じ組だった娘だ。オレの幼稚園生活はかなりハッピーそのものだった。周りには女の子がたくさんいた。いつも女の子に囲まれている状態だった。ミヨちゃんはそのなかでもいちばん仲がいい女の子だった。
  ミヨちゃん。目が大きくてパッチリとしていて、まつ毛が濃い女の子だった。たしか父親は税理士かなんかだったと思う。母親は専業主婦だったかな。オレの家に朝いつも来て、手をつなぎながらいっしょに幼稚園に行った。お遊戯のときは真っ先にオレの隣に来てパートナーになるし、休み時間のときは砂場で砂団子をつくってオレにプレゼントをしてくれた。
  そんなある日、ミヨちゃんはオレを幼稚園の裏庭に呼び出した。
  「ミヨちゃんどうしたの?」
  と、オレは何もわからず聞くと、ミヨちゃんはいきなりオレの唇めがけて突進してきた。
  ゴツンと頭がぶつかり、頭突きを食らわされたのかと思っておどろいたけど、あとから唇にやわらかいものを感じた。
  「チューだよ。」
  と、ミヨちゃんは言って抱きついてきた。
  オレは何がなんだかわからなかったが、とにかくなんか気持ちよかった。
  ミヨちゃんとチューをはじめてから、チューが気持ちいいことだとわかり、オレはミヨちゃんとチューばっかしていた。班で揃って歌を歌うときも、ミヨちゃんととなりどうしになり、ゆかりん先生がピアノの伴奏に熱を入れているすきをみはからってチューをしていた。
  ゆかりん先生は短大を卒業してまもなくの二十歳そこそこの若い先生だ。ピアノと歌が好きで、よく歌を歌わされた。声が高く、けっこう高音まで声が出るので、園児たちにもそれをやらせようとピアノで高い音域までガンガン持っていく。オレたちはあごを上げながら必死になって声を絞り出した。オレはゆかりん先生の顔はよく覚えていない。ただ、ジーンズをはいた後姿が記憶に残っていて、尻にボリュームがあり太もももムチムチしていたことをおぼえている。オレはその太ももが気持ちいいので、よくまとわりついたりした。
  ある日オレがミヨちゃんと授業中机の下に隠れてチューをしまくっていると、ゆかりん先生にそれを発見されて注意された。オレとミヨちゃんのラブラブな関係はゆかりん先生も注目していたのか、オレたちのキスの現場を差し押さえると、しきりとたしなめられた。ゆかりん先生。今頃どうしてるんだろう。

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