●Vol:2

 オレとミヨちゃんはそのまま小学校に上がり、一緒のクラスになり、ラブラブな関係を続けていた。オレとミヨちゃんがチューをしまくっていたのがクラスで伝染したのか、周りのみんなもチューをし始めた。そして、最後は特定の女の子だけではなく、いろんな子どうしでチューをするようになってしまった。オレたちは何人かで学校の裏のひっそりとした場所に集まって、男女入り混じって「チュー大会」をよくやった。
  チューより先はどうかって?それがあればもっと面白くなるかも知れなかったが、それはさすがに小学校低学年。そこまでの想像力はなかった。チューすることがその当時、とてもエロなことだった。
  今から思えばミヨちゃんはかなりエロの素養があったと思う。三年生からクラス替えをし、別々のクラスになってしまったので、疎遠になってしまったが、たまに見かけると、相変わらすチューをしていた。ミヨちゃんは体が大きく、発育がよく、おそらくオレの小学校で一番最初に胸が膨らみだした女の子と言って間違いないだろう。だが、そのミヨちゃんも、小五ぐらいのときに他県に引っ越してしまい、それ以来音信不通となってしまった。
  と、これまで調子いいことを書いてきたが、いいことばっかりかというとそうでもない。女の子に対しては人気のあるオレだったが、そのぶん男の子には人気がなかった。軽いいじめにもあっていた。幼稚園や小学校低学年のいじめだから、げんこつで殴られるぐらいの単純なものだが、オレのほうも幼かったぶん心もまだ小さかったので、それなりにダメージはあった。それに加え、体が弱かった。今でこそ身長百八十センチで、最近腹部にたんぱく質が付着しだしたので、かなり体格がいいほうなのだが、小さいときから喘息持ちで、過激な運動をすると、息が切れてしまうのだ。そんなコンプレックスがあったのか、いじめ軍団には勇気をもって立ち向かうというほうではなかった。よく小説や、有名人の話で、いじめられていた自分がある日勇気を持って立ち向かったらいじめがなくなって、克服したという美談があるが、オレの場合はそうではない。立ち向かう勇気もなかったし、いじめられたらいじめられるいっぽうだった。ただ、その場をやり過ごすだけだった。
  幼稚園、小学校低学年のときの子供どうしのいじめはまだよかった。いじめといってもたあいのないもので、しかも、たまにあるだけで、オレだけが集中的に狙われているということはなかった。だが、それよりも、教師のほうが問題があった。オレの担任は暴力教師だった。オレがとくに何をしたでもないのに、いきなり教師にわけもわからず殴られた。松本功一。忘れもしない。MATSUMOTOだ。
  マツモトは体育関係の学校を卒業したのか、いつもジャージ姿で、アシックスだか、アディダスだかのワンポイントが入った白いTシャツをジャージの中に入れているというスタイルだ。ジャージの色は水色か赤のツーパターンがあった。髪型はスポーツ刈り。短髪で、頭の上が平らで一直線になっている。マラソン選手の瀬古利彦の現役時代の髪型を思い浮かべてもらえればイメージがわくだろう。なぜか竹刀をいつも持ち歩き、児童たちを威圧していた。体は筋肉質でいかつく、不器用と思いきや、意外に、ピアノとかも弾きこなし、高い声で歌など歌ってしまうのだ。
  マツモトはことあるごとにオレを殴った。始業チャイムが鳴っても少しふざけていると、オレのところへツカツカとやってきて、警告なしにビンタを食らわせて、それから怒鳴り散らす。その後は廊下に正座。ほっといてくれればいいものを、構いたがる性分なのか、事あるごとにドアを開け、オレの様子を伺いに来る。しかも、突然ドアを開け、オレが少しでもひざを崩しているところを見つけると、竹刀でオレをぶったたいた。
  他には体育倉庫みたいなところでめちゃくちゃに殴られた記憶もある。熱心な教師が熱情のあまり児童を殴って、それが児童側から見れば恐怖と写るとかいう類のものではなくて、マツモトはホントにイッちゃてたと思う。ある日、マツモトが生徒をぶん殴っているときに、保健の先生が止めに入って先生同士が言い争いになったことを覚えている。
  オレはそんなマツモトの仕打ちに耐えかねて、軽い登校拒否を起こす。熱があると言って学校に行かなかったのだ。その当時のオレの大発見は、体温計を布団かなんかでこすると、数値がどんどん上がるということだった。それで三十九度ぐらいまで上げて、学校をよく休んだ。だけど、それを繰り返しているうちに母親がオレの様子がおかしいことに気づいた。三十九度も熱があるはずなのに、なぜかピンピンしているからだ。それで、母親にバレて結局学校に行くようになった。
  それからオレは学校に対して不信感を持つようになったけど、小五のときにいい先生とめぐり合って、学校がまた楽しくなった。下川隆二先生という先生だ。下川先生がオレたちに最初に言ったことばは、「私は暴力はふるいません。」というものだった。オレは今まで、教師は暴力を振るうものだと思っていたから、その一言が新鮮だった。
  「みんなは一人のために、一人はみんなのために。」
  これが下川先生のモットーで、とにかくみんなで助け合いながら一つのものを作り上げていくというものを大切にした。それまでオレは目立つのが好きで、少し調子をこいて「アオヤマン」っていうのをやって悪ふざけをしていた。だけど、下川先生は「もう子供じゃないだからアオヤマンは卒業しろ」と言ってオレにアオヤマンをやめさせた。オレにしてみればまだ充分子供だったので、アオヤマンは捨てがたかったが、ひとりだけがクラスで突出してしまうことはいいことではないという下川先生の考えだった。
下川先生は、大きな方向を提案はするが、それに到達するまでの具体的な方法には口出しせず、児童たちに考えさせるようにしていた。
  小五の新学期が始まった当初から、のぶこちゃんという女の子が登校拒否を起こしていて学校に来なかった。そこで、下川先生はオレたち児童にのぶこちゃんを学校に来させるにはどうしたらいいかを考えさせた。オレたちはいろいろ知恵を絞った結果、のぶこちゃんの家に行き、そこで軽く寸劇をやってみたり、歌を歌ってみたり、詩みたいなものをつくって朗読したりして、学校の楽しさを教えてあげようと努力した。
  寸劇の内容は良く覚えていないが、内気の少女が、友達の力によって徐々に心を開いて行き、最後は友達の輪の中に入っていけるというようなものだったと思う。詩の朗読は、グループが一人ひとり何かせりふを言って、たまに全員でせりふを繰り返すという小学校でよくあるあれだ。
  A:のぶこちゃん。
  全員:のぶこちゃん。
  B:笑顔がかわいいのぶこちゃん。
  C:でも、最近はのぶこちゃんの笑顔みないなあ。
  全員:みないなあ。
  ってな感じだ。
  オレたちの努力のせいもあってか、のぶこちゃんは学校に来るようになった。のぶこちゃんが学校に来てもらう方法を自分たちで考え、実行し、来てもらえるようになったので、オレたちの中にも達成感みたいなものがあった。そういうものがあったから、のぶこちゃんが学校に出てきてからもいじめるということはしなかった。
のぶこちゃんはクラスのみんなから誘ってもらえたことが嬉しかったらしく、クラスで発行している学級新聞によく文章を投稿していたように思える。その中の一つに、オレと海で一緒に海草を拾い集めたのが楽しかったというものがあった。オレはどうかといえば、本を読んだり、文章を書いたりするのが苦手だったので、学級新聞に投稿することはまずなかった。


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